かじかむ指ひろげて
人に必要とされたい、という欲求が強いほうだと思う。
そりゃあ「いてほしくない」と思われるよりは良いだろうが、「いてもいなくても」よりは「いてほしい」と思われたい。
後輩に「(私)さんとシフトが一緒だと嬉しいです」なんて言われた日にゃ「一生守ってやるぜ、ビッグラブ…」となるし、お客さまに「今日(私)さんがいるといいな、と思ってました」なんて言われたら商品代金を全額負担したくなる(アカン)
この欲求のルーツはきっと、私自身の家族構成に由来する。
私は4人きょうだいだ。
姉、私、弟、弟。気ままな次女というポジション。そして実家は寺である。
多感な時期に、悪癖を発揮した。
「私は生まれたとき、周りをがっかりさせてしまったのではないか?」
姉は第一子だ。無条件で誕生を喜ばれる。
弟は長男だ。待望の跡継ぎ扱いされる。
次男の弟は末っ子。末っ子らしく可愛がられるだろう。
では、私は?
また女の子か、次は男の子が良かったね、3人目期待だね、なんて母が言われてたらどうしよう。私のせいで。
寺における真ん中っ子次女の価値とは?
※周りの親族の名誉のために注釈するが、いらない子扱いされたことは一切ない。特に母は4人とも分け隔てなく優しく厳しく育ててくれたと思う。なのにどうして私はこんなにも捻くれてしまったのか。母曰く「あんたは昔から感受性が強くてなあ」とのこと。ただの個性だった。
幼い頃の私は、家庭内で自分のポジションを確立するため必死だったように思う。
両親ともに愉快な人格ゆえ、いつも家庭には笑いがあった。面白いが正義だった。
なので私はとにかく喋った。構って欲しかったのもあるが、とにかく喋った。姉と弟ズが大人しいのをいいことに、特に母に話しかけまくった。母が笑ってくれるのが嬉しかった。
同年代より大人と話すのが好きだったので、母と話すのは楽しかった。
母が夕飯を作っているのを邪魔にならない位置(重要)で眺めながら、1日の報告に始まり思いつくことをなんでも話した。
どんどん出来上がっていく夕飯をキッチンから食卓に運ぶというお手伝いもついでに行う。今思えばあれもポイント稼ぎだったのかもしれん。
中高生になるころには親の愛だけでは飽き足らず、他人に特別扱いされたい欲求が高まっていた。
反抗する生徒が多いなか、教師に媚びを売ることで気に入られようとした。(敬語が使えない頭の悪いやつと思われたくなかったというのもあるが)
友情よりも恋愛を取った。中高生の恋愛なんてほぼ性欲だ。友達を思う感情よりも性欲の方が強烈で、衝動的で、汚くて、強い。
モテるために何をするかを常に考えていた。近付く余地を見せるために同性とはつるまず一匹狼でいた(ぼっちともいう)。異性とは友だちとして接するが、よく笑い聞き役に徹し、ギャアギャア喚かずとにかく「他の女子とは違う」アピールをした。適度にスキを見せ「いけるかもしれん」という男子の欲につけ込み相手の気持ちを限界まで温めた末にひらりとかわす、みたいなことをやっていた。私のことで頭いっぱいやん、と思った途端に満足してハシゴを外す。
今思い返してもひどいな、ただのクズだ。
相手を傷付けてでも、必要とされていると感じたかった。十代の私はとにかく寂しかった。
幼き日々の愚行はともかく、この承認欲求は今の仕事にも影響しているように思う。
社会に出てからはずっと接客業だが、お客さまにとって特別な存在になりたい、と強く思っていた。
しかしその思いだけではうまくいかず、自分の思い通りにいかないことがあったときには態度に出てお客さまを怒らせてしまった。
「こんなに一生懸命やってるのに何で文句言われなきゃいけないんだ」「認めないアンタがおかしい」とぶつくさしていた。
相手を傷付けてでも、自分の存在を示したかったのだ。寂しい人間だ。
拗らせた自意識が大人の私をがんじがらめにしている。
他人に必要とされるには、与えられる人間にならないといけない。欲しがってばかりの私にはほど遠い。
まだまだ未熟だけれど、自己研鑽こそ人生だろうからトライアンドエラーでやっていくしかない。もがくのが私の人生だというのは不妊治療で身に染みている。